誰かの「大切な人」益田ミリ [気持]
今日の新聞のコラムに
益田ミリさんが誰かの「大切な人」というお話を書いていた。
益田さんがOLだったころ、一人暮らしをしたくて、
なんとか口実を見つけて、家を出た。
初めて一人で暮らしたワンルームマンション。
とはいえ、実家とは自転車で5分くらいの場所。
そんなときに阪神淡路大震災が起きたのだ。
まだ夜が明ける前で暗いし、停電で電気もつかない、電話もつながらない。
実家は大丈夫だろうかと思った矢先、玄関をドンドンたたく音がした。
ドアを開けると髪にカーラーを巻いたままのお母さんが立っていたそうだ。
益田さんは「電気のない真っ暗な道を、あわててやってきてくれたのだ。私のために来てくれたんだな。」
と書いている。
そのあと、
「自分が誰かの「大切な人」であることを、若かった私は当然のように受け止めていた。」と結んでいる。
そうだよね、若い頃ってそうなんだよな~
自分が大切にされて当たり前。
それだけ幸せだったんだと思う。
「大切な人」と思われ、扱われ・・・今しにしても思えば甘えていたなぁ~
今は私にも「大切な人」がいる。
夫、息子、娘、母、姉、親戚
友人、同僚、仲間
電話相談に「死にたい、これから死にいくだよ、いいよね、死んでも」
という電話がかかってくるそうだ。
その時に「もし、あなたが私の夫だったら絶対死んじゃだめというけど、あなたにはそう言ってくれる人はいないの?」
と尋ねると
しばらく考えた後、「施設に入っている母が・・・」
その方にとってもお母さまは「大切な人」だったんですね。
「大切な人」と思われるのもいいけど
自分にとって「大切な人」がいる人生がいいですね。
スポンサーリンク
コメント 0