お金の心配について [気持]
目的論
アドラー心理学の本を読んでいる。
アドラーは「目的論」ということを提唱している。
「私はアダルトチルドレンなんだ、昔、親からうけた仕打ちが忘れられなくて、ちょっとしたことで不安定になるの。しんどいの」といってずっと引きこもっている。
これは原因論
原因を求めてそれを解決しようとする限り、先に進めない。
対してアドラーの目的論は外に出たくないがために「アダルトチルドレン」だから「しんどいくて大変」な私をやっている。
目的は「外にでないこと。」
この目的論ということを説明するのは難しいな。
自分のことを考えよう。
私はいつもお金の心配をしている。
いつもお金がない、どうしよう。
今月のカードの支払いがきびしい。
お金があれば自由に動けるのに・・・とか考えている。
アドラーの目的論から行くと、私はお金のことを心配するために何らかの行動している。
自分が「お金の心配をしたい」から、そうなるように自分を仕向けている。
もしかしたら、お金の心配をしていたらほかのことから目を背けられるから
だからお金の心配をするように仕向けているのかも。
旅行だって、今は好きなところに行ける。
お金がなくて貧乏旅行だってできる。その目的は贅沢をすることではない。
旅の目的を考えたら
お金があるなしは関係ない。
住む家があって、着る服があって、仕事があって、家族がいて。
それ以上、何かを望むのか?
だとすればあくせくあくせくせずに、
お金を大事にしていけばいい。
それを気づかせてくれるようにしてくれたのかな
あれがない、これがない、もっともっとほしい
そんなことにとらわれていたのかもしれない。
have do be
お金さえあれば(HAVE 持つ)→何でもできて(DO)→幸せになれる(BE あり方)
この考え方だったんだね。
be do have
自分の在り方、生き方があり、行動して、なにかを得る。
その生き方に変えなさいということなのか?
なんだか、今まで一生懸命やってきたけど、
少し、肩の力を抜いてゆっくりしたいな。
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